
藤原清河(ふじわら の きよかわ)は、奈良時代に活躍した藤原北家出身の公卿であり、遣唐使として唐に渡り、現地で官職を得て生涯を終えたことで知られています。
彼の生涯は、日本と唐との外交関係や文化交流の一端を示す重要な事例となっています。
藤原清河の基本情報
藤原清河は、唐の皇帝にも評価された教養人であり、遣唐使としてだけでなく文化人・国際人としても注目されます。
彼の残した和歌は『万葉集』に収録され、その心情や教養をうかがい知ることができます。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 藤原清河(ふじわら の きよかわ) |
生没年 | 生年不詳 – 宝亀9年(778年) |
出身 | 藤原北家(藤原房前の四男) |
官位 | 従三位・参議、常陸守、死後に従一位 |
主な役職 | 遣唐大使、秘書監(唐朝) |
関連人物 | 阿倍仲麻呂、吉備真備、大伴古麻呂、玄宗皇帝 |
文学記録 | 『万葉集』巻19に和歌が収録 |
年表:藤原清河の主な出来事
年代 | 出来事 |
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8世紀初頭 | 藤原房前の四男として誕生(正確な生年は不詳) |
740年頃 | 従五位下に叙せられる |
749年 | 参議に任じられる |
750年 | 遣唐大使に任命(第12次遣唐使) |
752年 | 唐の長安に到着、玄宗皇帝に謁見 |
753年 | 新羅との席次問題を交渉・是正に成功 |
755年 | 安禄山の乱発生、帰国困難に |
760年頃 | 秘書監として唐朝に仕官、「河清」と名乗る |
778年 | 唐にて没す(宝亀9年) |
👥 関連人物とその関係性
- 藤原房前(父):藤原不比等の子。清河はその四男として生まれ、北家に属す。
- 藤原永手・藤原真楯・藤原魚名(兄弟):いずれも藤原四家(北家・南家・式家・京家)を代表する重要人物。
- 阿倍仲麻呂:同時期に唐に渡り、高官に登用された日本人。清河の唐での活動と思想的にも近い部分がある。
- 喜娘(娘):唐人女性との間に生まれた娘で、日本へ帰国したとの記録あり(その後不明)。
🌏 時代背景:清河が活躍した奈良時代の国際関係
- 遣唐使の意義:仏教・律令制・文物の導入、国際的正統性の獲得が目的。
- 唐の状況:唐は全盛期を迎えていたが、755年に安禄山の乱が勃発し、大きな混乱に。
- 清河の派遣時期:唐がまだ安定していた時期に出発したが、滞在中に動乱が起こり、帰国困難となる。
- 席次問題:清河は新羅より下とされた日本の外交的地位を交渉によって訂正させ、国威を示した
出自と官位
藤原清河は、藤原鎌足の曾孫であり、藤原北家を代表する一門に連なる人物です。
天平12年に従五位下に叙せられ、その後も順調に昇進。最終的には参議となり、遣唐大使として唐へ派遣されました。
唐では「河清(かせい)」の名で呼ばれ、秘書監に任じられるなど、外国人として異例の待遇を受けました。
家族と子女
清河は唐滞在中に現地女性との間に娘・喜娘(きじょう)をもうけました。
喜娘は日本へ帰国したとされるものの、その後の消息は伝わっていません。
この事例は当時としては珍しい「国際結婚」の例とされています。
藤原清河の人となり
清河は穏やかで礼儀正しい人物と伝えられ、唐の玄宗皇帝からも「君子人」と称されました。
また文学にも通じ、彼の詠んだ和歌は『万葉集』に残されており、その中には唐への出発に際しての心情が綴られています。
史料からは、教養ある外交官としての姿が浮かび上がります。
藤原清河が歴史上に成し遂げた偉業たち
遣唐使としての功績
清河は天平勝宝2年に第12次遣唐使の大使として任命されました。
吉備真備や大伴古麻呂らを従えて出発し、唐の長安に到着。玄宗皇帝に謁見し、日本の国威と外交礼節を示しました。
新羅よりも下位に置かれた日本の席次を交渉によって是正させるなど、実績ある交渉を行いました。
唐朝における官職と文化交流
帰国途中に暴風で遭難した後、唐に再度戻り、「河清」と名乗って秘書監に就任しました。
これは外国人としては極めて珍しいことであり、唐朝からの信頼の厚さを物語っています。
また、唐の制度や文化を学び、それを後の日本にも伝える基盤を築いたとされます。
唐朝での活動と帰国の試み
帰国の途上、清河の乗る船は暴風によりベトナム北部に漂着し、現地の民に襲撃されるなどの困難に見舞われました。その後、長安に戻り、唐朝に仕えることとなります。秘書監に任じられ、唐名を「河清」と改めました。日本からの度重なる帰国要請にもかかわらず、安史の乱などの影響で帰国は叶わず、宝亀9年(778年)に唐で客死しました。
歴史に刻まれた藤原清河の生涯
藤原清河は、奈良時代における日本と唐の関係を象徴する人物です。
その外交交渉、文化交流、そして詠んだ和歌にいたるまで、彼の存在は多方面に影響を与えました。
現在では、国際的な文化人・外交官としての先駆けとも称され、その業績は後世に語り継がれています。
参考文献
- 外務省|日本と中国の外交史概観(奈良時代遣唐使含む)
- 長崎文献ネット|国境の島 歴史資料(唐との交流記録含む)
- 藤原清河」『ArtWiki』立命館大学アート・リサーチセンター